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地震から2日目の夜を迎えました。
皆さまの地域では、いかがお過ごしでしょうか。
ご家族やお知りあいの方々は、ご無事ですか。
東京では、身体に感じられる余震が 何度も続いています。
時間が経つにつれ 津波の被害が明らかになり、あまりの悲惨さに言葉もありません。
その被害もどんどん拡大しています。
被災地の皆さんの無事を心から祈っています。
仙台に住む親戚は、今日になって何とか全員の無事が確認できました。
市内でもライフラインが全て止まっているようで、
さぞかし不安な夜を過ごしているのではと心配しています。
私は昨日 打ち合わせのために娘の高校に行き、
数年前に建てかえられた新しい校舎の2Fに 母友十数人と一緒にいました。
最初は ゆっくりとした大きな揺れ幅で始まったように思います。
やがて揺れが激しくなり、とてもとても長い時間 揺れていたように感じました。
倒れる物は何もありませんでしたが、
めまいがするような 気持ちの悪い揺れ方でした。
友達が携帯ですぐに 宮城県沖が震源と調べてくれました。
1,2年生は部活、3年生は全員体育館にいて、みな校庭に避難しましたが、
体育館は 壊れるかと思うほど揺れ、上から何かの破片やバドミントンの
シャトルなどが落ちてきて怖かったと言っていました。
3時過ぎの地震は 校庭にいた時で、
地面が揺れるのが見ていてもわかるほどで 立っていられない。
4時過ぎに解散となりましたが、電車は 私鉄もJRもストップ。
娘の高校は 7割の生徒が自転車通学なのですが、私達電車組は立ち往生です。
比較的近くて 歩いて帰ると決めたこども達は さっさと出かけていましたし、
バスは動いたので 友達の多くはバスで帰って行きました。
けれど どう乗りつぎを考えても私達には 帰る手立ては無く、
電車とバスで 40分以上かかる者は、早々に帰宅難民となってしまったのです。
お腹がすいたという娘と 最寄り駅のマックでひと休みして、
歩けばほぼ3時間、覚悟を決め明るいうちに出かけようとした時、
やっと夫と連絡がとれ、ひと安心。
車も混んでいまいたが、何とか帰宅することができました。
家では、地震の時には長男がTVをおさえていました。
気になっていたにゃんこは、
ひと騒ぎして走り回った後 頭だけを押入れに突っ込んでいたそうです。
「 ま~ったく、こいつは予知も何にもしないぜ! 」 ヽ(  ̄д ̄;)ノ
食器棚や本棚、他の戸棚は 扉も開くことなく、箪笥類も大丈夫、
揺れの割には家の中は無事でした。
こういう時、携帯もすぐには繋がらなくて、お互いに
自分の状態と いる場所、どうやって帰るのか 帰らないのか、などを
連絡しあう方法を考えておかなくてはなぁと思いました。
気になるのは、
『 東海村臨界事故に匹敵する「レベル4」』 とされた福島の原発です。
なかなかはっきりしたことがわからなくて、不安がつのるばかりです。
もう少し早く 何が起こっているのかを知らせるべきではないでしょうか。
何だか都合の悪いことを 隠しているように見えてしまいます。
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